平成26年(2014)

天皇陛下 https://archive.fo/Wk1hY

昭和天皇から学んだことは多いと思います。結婚前には葉山の御用邸昭和天皇香淳皇后と一緒に泊めていただくこともありましたから、そのような時に昭和天皇から学んだことが多くありました。人のことを常に考えることと、人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事に当たるということは、昭和天皇の御言動から学んだ大きなことであったのではないかと思っています。


皇后陛下 https://archive.fo/8OoVa

御手術後の陛下と朝、葉山の町を歩いておりました時、後ろから来て気付かれたのでしょう、お勤めに出る途中らしい男性が少し先で車を止めて道を横切って来られ、「陛下よろしかったですね」と明るく云い、また車に走って行かれました。しみじみとした幸せを味わいました。

私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく,恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います。

まだ若い東宮妃であった頃、当時の東宮大夫から、著者が私にも目を通して欲しいと送って来られたという一冊の本を見せられました。長くシベリアに抑留されていた人の歌集で。中でも、帰国への期待をつのらせる中、今年も早蕨が羊歯になって春が過ぎていくという一首が特に悲しく、この時以来、抑留者や外地で終戦を迎えた開拓民のこと、その人たちの引き揚げ後も続いた苦労等に、心を向けるようになりました。

世界の諍いの多くが、何らかの報復という形を取って繰り返し行われて来た中で、我が国の遺族会が、一貫して平和で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。遺族の人たちの、自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも、今、平和の恩恵に与っている私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています。


秋篠宮殿下 https://archive.fo/Egc7E

皇族ですから,外交に携わってはいけないわけです。外交ではない親善,例えば王室がある国ですと,向こうの王室との親善というのはある程度分かりやすいかもしれませんけども,そうでない国もたくさんありますし,もし公式の訪問をするのであれば,例えば外交関係ができてから何十周年であるとか,日本と当該国との何か大きい文化行事があるとか,何か一つの核になるものがあるべきではないかと思います。