平成17年(2005)皇太子妃を辞めます!秋篠宮家「公務は受け身」

天皇陛下 http://archive.fo/Puho1

「私の皇室に対する考え方は,天皇及び皇族は,国民と苦楽を共にすることに努め,国民の幸せを願いつつ務めを果たしていくことが,皇室の在り方として望ましいということであり,またこの在り方が皇室の伝統ではないかと考えているということです」

「女性皇族の存在は,実質的な仕事に加え,公的な場においても私的な場においても,その場の空気に優しさと温かさを与え,人々の善意や勇気に働きかけるという,非常に良い要素を含んでいると感じています」


秋篠宮殿下 https://archive.fo/KCWnE

皇太子殿下とのコミュニケーションについてですけれども,現在,妃殿下が,発表されているように,体調が良い時とそれからそうでない時がありますので,こちらから積極的に東宮御所へ行ってということはしておりません。しかし,もし,声が掛かれば,いつでも行くつもりにしております。

私自身もどういうことなのか今一つ分からなかったので直接聞いてみました。特に,例えば,陛下と皇太子殿下の「世代間」の差とか,陛下と私の世代の違い,又は,これは世代の違いというほどの差はないと思うんですけども,皇太子殿下と私の世代の差,そういう意味で話をしたわけではなくて,あくまでも一般論としてのことだという話でした。

公的な活動についてはいろいろな考え方が私はあると思いますけれども,基本的には私は,要請を受けたものにこたえていくという姿勢を今後も続けたいと思います。


皇后陛下 http://archive.fo/PoB7S

今年の夏,陛下と清子と共に,満蒙開拓の引揚者が戦後那須の原野を開いて作った千振開拓地を訪ねた時には,ちょうど那須御用邸秋篠宮と長女の眞子も来ており,戦中戦後のことに少しでも触れてほしく,同道いたしました。眞子は中学2年生で,まだ少し早いかと思いましたが,これ以前に母方の祖母で,自身,幼時に引揚げを経験した川嶋和代さんから,藤原ていさんの「流れる星は生きている」を頂いて読んでいたことを知り,誘いました。初期に入植した方たちが,穏やかに遠い日々の経験を語って下さり,眞子がやや緊張して耳を傾けていた様子が,今も目に残っています。

浩宮東宮)は優しく,よく励ましの言葉をかけてくれました。礼宮秋篠宮)は,繊細に心配りをしてくれる子どもでしたが,同時に私が真実を見誤ることのないよう,心配して見張っていたらしい節もあります。年齢の割に若く見える,と浩宮が言ってくれた夜,「本当は年相応だからね」と礼宮が真顔で訂正に来た時のおかしさを忘れません。そして清子は,私が何か失敗したり,思いがけないことが起こってがっかりしている時に,まずそばに来て「ドンマーイン」とのどかに言ってくれる子どもでした。


紀子妃殿下

私が結婚をしましてから,長い間,慣れない宮中の行事の様々な場面において,お近くにいらしてくださいましたことは,緊張しておりました私にとりまして,非常に心強いことでした。娘たちは幼い時に紀宮様を「ねぇね」とお呼びしてお慕い申し上げ,親しみの気持ちを抱きながら成長しました。娘たちもこの度のご結婚を大変喜んでおりました。